自分を表現する事とは?
かねてよりお世話になっている「読書家」の方とつい先日もお会いする機会があった。
自分が何か考えている時や先々に起こり得る事に対する不安を感じる時の他、自身に何か変化が起きている、または、起きそうな時にはこうして「人と会う」ことを意図的におなっている。この行為を行うことによって、自分の中で何か方向性を決めたりしているのだと感じている。人にあっている間は、特に深刻な面持ちで悩みを打ち明けると言ったこよではなく、お酒を飲みながら、会った方の考え方などを知り、刺激を受けているといった形で。
しかし、今回はいつもとは若干違った形となった。
話が進む中で、「君には他の人とは明らかに異なる行動特性があるけどわかる?」との問いかけがありました。しばし考えたて見たものの、いっこうに何のことやらわかりません。
お手上げということで「何でしょう?」と聞いてみると、「君は、珍しいくらい “問いかける” ことをしない」とのこと。
う~ん、と思いながらも、自分自身のこれまで自分がどうであったかなどを超高速で反芻してみると、確かにそうなのである。これまで、結局、自分自身で決め手先に進む、もしくは進まなくてはいけないという状況が多く、言い換えるならば「人に聞いた所で、最終的に責任を取るのは自分だ」といった考え方があったからではないかと思い始める。
しかし、「問いかける」という行為自体には、むしろ自分の想像、そして創造を掻き立てるる要素が含まれており、これを他人に施すことによって、自分に対する問いかけ(問いかけられる)の機会も増えることとなる。また、自分で自分に問いかけるという行為も、同様のことが言え、これらは、より自分の根底にある考え方にたどり着く(考え方を導き出す)ことにも効き目があるようである。この繰り返しにより、自分の深み?本質?的な部分が見えてくるのかなぁ、とおぼろげながら理解する。
そして、次の質問が。では、「あなたは、何を表現することで世の中に自分の存在を知らせたいのか(認めさせたいのか)?」と問われます。
ここから先は、頭の中をグルグルかき混ぜられているというか、酔いが単に回ってきたというか、回答が出てきません。これまでこうしたことも含めて「問いかける」こと自体が少なかったため、当然の状況なのでしょうが。。。
既に、1週間ほど、悶々とした日が続きますが、もう暫く考えて見ることとします。
他にも、"安心” と"信頼"は対局にあるといったことも問われたりと、頭の中はグルグルととしているのに、なんだか久し振りに出来ていなかったことに向かい合う時間が若干ながらも出来たことに対する満足度は高い夜の一時でした。



あまり心に響かなかった。
副題どおり起業・実践ガイドになってるのか?
NPOで飯が食えるか
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